繁盛店になるまで「奮戦記」

独立開業から、院としての経営を軌道に乗せるまでの道のりは決して平たんなものではない。開業した院のなかにも成功して繁盛している院もあれば、撤退・閉院を余儀なくされるところも…。
この成功と失敗の差はどのようにして生まれるのか? 何が明暗を分けるのか?
紹介するのは「業界内で成功をおさめた繁盛店」の院長と、そのサクセスまでのストーリーだ。

「奮戦記」1 日本でトップクラスになる! ~外傷分野に特化して活路を見いだす~
『ちあき接骨院』代表 戸畑智秋氏


種子島出身で、島に1軒だけ接骨院があったので、小さい頃から捻挫や怪我をしてはよく通いました。「素敵な仕事だなあ」と思い、高校卒業後に上京し目黒の接骨院で修行を始めました。結局、約9年間お世話になりました。ある日、急な患者さんが来て、そこの院長先生が対応できなくて患者さんを帰してしまったんです。ショックでしたね。 結局そこを辞めて、呉竹鍼灸柔整専門学校の夜間部へ入学。勉強しながら、同時に昼間は整形外科で修行を続けることにしました。 整形で学びなおしてよかった点は、何といってもやはり打撲、捻挫の処置を完璧に行えるようになったこと。学校で座学を学びつつ、臨床で実践できたことは大きな収穫でした。

一方で苦労も多かった。治療院時代に較べて給与は上がったけど、肝心の技術レベルが周りよりも数段低い。固定、見立て、問診が全然できない。私が後輩と一緒の臨床の現場をこなすわけで。叱られましたね。年下から。悔しくて、夜残って一生懸命練習しました。「ちあき接骨院」は東日本大震災の起きた一カ月後に開業したのですが、全然、お客様が来ない。すると、たまたま地域の会長が「息苦しい」とウチへやってきたので診てあげると、どうも骨折らしい。すぐに固定して、骨折処置を済ませてから紹介状を書き、「肋骨骨折です」と言うと「レントゲンも撮らないでウソ言うな」と笑われました。 「治療代は後日でいいです」と帰すと、数日後またウチへ来て、「本当に骨折だったよ」と(笑)。それがきっかけで、次々と地元の患者様が来るようになりましたね。 集客のための宣伝は一切せず、紹介や口コミだけで営業。チラシを配ったこともありません。あと、紹介状を上手に書けることが役立っています。整形の臨床で随分勉強したおかげです。

「奮戦記」2 絶対あきらめない!~継続する力で成功を掴んだ~
『天使のたまご』代表 藤原 亜季 氏

事業をしていた父親をみて「私も将来は絶対に起業するんだ」と信じていた私は、近畿大学を卒業後、アジアを中心にバックパッカーとして旅にでました。 そこで出会ったのが世界中のさまざまな民間療法や伝統医学。「これを仕事にしよう!」と。帰国後、まずは渡英して1カ月アロマセラピーを学びました。 しかし「治療行為」と認められていないアロマセラピー。もどかしさを感じた私は治鍼灸師へと方向転換を決意。呉竹学園東京医療専門学校入学しました。 入学から2年後、私の運命を変える出来事が起こりました。妊娠でした。「卒業したらすぐ開業するつもりだったのに」と悩みましたが、絶対に何か意味があるはずだと受け入れて妊婦のまま一層勉学に励んだんです。そこで感じた「妊婦ってなんて大変なんだろう!」という想い。精神的な不安、腰痛や足の浮腫みでつらい…。しかも、サロンや治療院へ行くと「妊婦はお断り」と言われる。そこで、自分の身体を教材にして研究を始めました。妊婦の生理学、解剖学、病理学的な検証と鍼灸での臨床を重ねて過ごし、11月に出産。そして無事卒業しました。 出産後は「妊婦ケア」に絞り込み起業へと邁進。しかし、当時まだ若かった私は物件ひとつ借りるのもひと苦労。ようやく人の助けもあって銀座に妊婦専門のサロン「天使のたまご」を開業しました。 当初の患者数は月間数名ほど。資金繰りも苦しく、毎月20日が怖かったですね(笑)。2年位してようやく軌道に。口コミが主体です。特に近隣の大きな病院の助産師さんが妊婦さんへ「天使のたまご」をススメてくれたことは大きかったです。  銀座院の初期投資を回収するのに約5年。その後自由が丘院と横浜元町院を開設。「妊婦さんへ完璧なケアをするには、医療機関との提携は欠かせない」と思い、札幌に、産婦人科クリニックに併設した形で院を設立。まもなく、湘南鎌倉バースクリニック内のテナントとして、より密な医療連携ができるようにサロンをオープンします。

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