若手治療家大いに語る  ~治療家から見る「治療家の理想像」

「井の中の蛙」「一匹狼」…。「絶対的な正解がない」とも言われる手技療法の世界において、日々の試行錯誤の上で独自の技術を作り上げていく治療家はこう呼ばれることも少なくない。
専門学校を卒業してくる多くの若者が、晴れて治療家として道を歩み始めるこの春。そんな彼らの道しるべ的存在とも言えるのが、独立開業して第一線で活躍する若手治療家たち。彼らに、自身の体験や挫折、治療家としての自負や独立後の抱負や夢などについて、語っていただくこととしよう。

出席者: 「骨盤太郎・代表」仙仁倉氏、 『たから整骨院・院長』青木宝氏、
「太子堂やまがた整骨院・院長」山縣竜治氏、『たいよう整骨院・副院長』川野邊拓氏、
コメンテーター『BODYMAKE株式会社・代表』九鬼良氏

――さまざまなご経験をされてきたと思いますが、皆さんが一番苦労した点は?

仙仁 私の場合は資格を持っていないぶん、有資格者よりは苦労が多かったですね。最初の開業がダメになった後、上京して就職したものの1年で倒産。異なる業界で働きながら土日だけ施術を行う生活が続いていました。ずっと開業の夢は追い続けていましたね。
青木 開院直後に思いっきりこけてしまって。円形脱毛症になったくらいきつかったですね。たとえばスティーブ・ジョブズとか…、彼のように『0を1にする能力』がある人は自分の信念を押し通せばいい。でも失敗を契機に自分にはその才能がないことがわかったので、『1を徹底的に自分のものにしてそれを2にする』と発想を変えてみました。そうしたら、数字は自然とあがっていきましたね。
川野邊 働き始めの頃は、魚肉ソーセージだけで1週間やり過ごしたり、キャベツの千切りでお腹をふくらませたりと本当にギリギリの生活で。当時は患者さんの『ありがとう』という言葉だけが心の支えでしたね。
山縣 就職したての頃は低収入で生活していかなくてはいけないという、この業界ならではの特殊な体質がありますよね。私も最初は受け入れがたいものがありました。少しでも状況を変えたくて、会社に直接意見したこともありましたね。

――仕事をしていて嬉しいと感じるのはどんな瞬間ですか?

仙仁 業界歴18年ですが、自分がそれまでできなかったことができた瞬間が一番うれしい。技術レベルが上がったことで大学病院の先生と直接やりとりが生まれたり…。自分を取り囲む環境が変わってきたな、と実感できて嬉しいです。
青木 リアルタイムでお互いがありがとうと言える関係が築けるのが嬉しい。また、スタッフに『入社してよかった』と言われる瞬間も、リーダーとしては大いに励みになります。
山縣 患者さんからの信頼を感じられる瞬間が一番嬉しいです。スタッフが主体的な動きを見せてくれたときにも喜びを感じます。
川野邊 以前『どこの治療院に行ってもよくならなかった』というおばあちゃんから、治療後『おかげで墓参りに行けるようになった、ありがとう』と手紙をいただいたとき、本当にうれしかった。その手紙をずっと部屋に飾って、初心を忘れないようにしています。
九鬼 決して楽な仕事ではないです。何をするにも本当に時間がかかるし、大変ですが、やったぶんだけ絶対に結果が出てくる魅力溢れる世界とも言える。やりがいは当然のこと、お金じゃ買えない喜びが必ず手に入ります。変に頭でっかちにならずに、信じてやるしかない。私はそれを言いたいですね。

 

※記事の詳細は、ひーりんぐマガジン47号(春号)をご覧ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!