医療とスポーツの融合を実践していく

世界のスピードスケート短距離界の第一人者として活躍し、長野オリンピックでは金メダルを獲得するなど、日本中に興奮と感動を与えた清水宏保さん。現在は北海道札幌市で治療院や通所介護施設、ジムなどを経営。多くの人の機能回復と健康維持に真摯に取り組んでいます。

■持病の喘息を乗り越えて

――スケートは何歳ぐらいから始められたのですか。きっかけは?
3歳から始めました。父親が僕の喘息を直すためにやらせたんです。父は漫画の「巨人の星」の星一徹のようで…(笑)

――喘息を患いながら、よくぞトップアスリートとして活躍されました。
喘息は、肺を鍛えることでコントロールできます。フィギュアスケートの羽生結弦君も喘息を患っていますよね。彼が幼い頃にサインをねだられたことがあります。お母さんが「この子も喘息なので勇気づけてやってください」と…。
僕は今も重度の喘息患者で、喘息の啓蒙活動をやらせてもらっています。

■世界のトップアスリートとして

――スピードスケート選手として一番嬉しかったこと、辛かったことは?
嬉しかったのは98年長野オリンピック500メートルで金メダルを取れたことと、4度世界記録を出して世界一の称号をもらえたこと。記録と闘って、世界最速でいるというのは楽しかったですね。

辛かったのは寒いことと、ハードな練習。そして海外遠征も。食事の面でも辛かったし、年間3分の1は海外で生活のリズムをつくるのに大変でした。時差ボケも苦手だし…。2週間に1度は別の国なので、日々朝目が覚めた時に、あれ自分はどこにいるんだろうと(笑)。

――選手時代に、悔いが残る事柄は?
2002年のソルトレークシティオリンピック500メートルでの試合。0・03秒差で銀メダルに終わりました。2本滑るのですが、1本目が終わった時点ですごく差があったので、僕の中で諦めてしまった。2本目を全力で滑っていればどうにかなったのかなと、悔いが残っています。

――選手としていつも大事にしていらしたことは?
「挑戦し続ける気持ち」です。

■理想的な治療家とは

――選手時代には、体のメンテナンスをしてくれるいつも決まったトレーナーや治療家の方がいらしたのですか。
あん摩マッサージ、鍼灸の何人かがいて、トレーニング期はこの方、試合の時はこの方と決めていました。

――施術を受ける側として、治療家の方はどうあってほしいと思っていましたか。
僕が集中できるように、ひっそりと〝かげのように〟気配を消してほしいと。
それから、治療家として〝飽きさせない〟人。海外遠征は長丁場なので、同じやり方だと筋肉は飽きてしまう。一つひとつの筋肉に対してさまざまなやり方を、レパートリーを持っている人にお願いしたいと思っていました。

■医療とスポーツの融合を目指して

――引退後2013年に治療院を開かれました。
整骨や鍼灸などの施術をする、ノース治療院です。20坪ですが、こんなにお金がかかるんだ、集客もこんなに大変なんだと、手探りで始めて、やりながら覚えているという感じでした。自分も営業に回ったり、ものすごい数の世帯にポスティングもしました。そうするとどこの住所からどのぐらいの人が来ているんだという流れも読めます。本当に体で学んでいきました。

――2014年にリボンリハビリセンター、昨年の秋には少人数制のジムもオープンされました。
リハビリセンターは通所介護施設で、身体機能の回復・維持・増進を目指しています。通われている方で、実際に介護認定が軽度になってきた方も…。怪我などをされた場合は、訪問看護のチームが行ってリハビリをお手伝いし、回復してからは治療院でメンテナンスを受けたり、ジムにも通っていただく。ジムには、なんと86歳の方も通っています。

――どうしてこのような施設を経営しようと思われたのですか。
アスリートとして多くの結果を残してきましたが、常に喘息の対処やけがによるリハビリの毎日で、医療はなくてはならない存在でした。それで、体の悩みを持つ方に健康の大切さを伝え、少しでも一緒に解決したいという思いで、リハビリセンターを開設したのです。

プロフィール

 清水宏保(しみず・ひろやす)
1974年北海道帯広市生まれ。1991年、浅間選抜500mで日本高校新記録樹立、全日本スプリント総合4位に入り脚光を浴びる。1993年18歳でW杯に初出場初優勝。以来、世界のスピードスケート短距離界の第一人者として活躍。1998年長野オリンピック500m・金メダル、1000m・銅メダル、2002年ソルトレークシティオリンピック500m・銀メダルを獲得。2010年現役引退。引退後は喘息の啓蒙活動、講演会、執筆活動等に幅広く活躍中。また、2013年以降北海道札幌市に治療院・通所介護施設・ジムを開設。2016年1月にはリハビリに特化した訪問看護ステーションを開設している。スポーツ選手のセカンドキャリア支援の活動にも積極的に取り組んでいる。

※記事の詳細は、ひーりんぐマガジン54号(新春号)をご覧ください。

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