☆長年、激しい変革の波に晒されてきた柔整業界。働き始めた当時と現在との比較、保険制度の改変が院の経営に及ぼした影響…など。皆さんの体験談をお聞かせください。
星野 私は一般企業への就職活動を中断してこの道へ進みました。働き始めた当初は整形外科の数も少なく、シニア患者さんの選択肢は接骨院のみ。高齢の患者さんの数自体も今より多かった気がします。
永野 確かに。当時はまさに接骨院バブル。やれば儲かる時代でした。冗談じゃなくて患者さんが治療院の先生に入れ歯や水虫の相談までしてくる時代(笑)。熊本で祖父、叔父、父も鍼灸師をやっていた私は疑うことなくこの業界へ入りましたが、親父はつねづね「お金出してもらってありがとうと言ってもらえる最高の仕事だ」と言っていました。
戸畑 私が生まれ育った鹿児島県種子島には接骨院がたった一カ所だけ。呉竹鍼灸柔整専門学校を卒業して、この業界に足を踏み入れました。一番変わったことといえば、労働環境でしょうか。昔は週6日勤務が当たり前。休みなしでしたから、だいぶ改善したんじゃないでしょうか。
星野 保険財政の悪化を受けて、それまで0割だった老人の患者さんの自己負担が一割へと改変された頃、お客さんの流れが一変しました。保険負担がない時代は、治療でなく相談感覚で通ってくる患者さんもいましたから(笑)。保険を使って接骨院へ通院する患者さんの意識が変化した端境期といえるでしょう。
永野 私見としては三部位逓減の施行で一気に潮目が変わりましたね。一部の企業の保険者からは当時も頻繁に調査が入っていましたが、それが大幅に増え、さらに厳格化した。これを境に、院の自費診療へのシフトが加速化した。独立前、接骨院に勤務していた頃、三部位逓減を受けて当時の社長から、自費診療への切り替えを徹底するよう厳しく指導されました。ですからその後、自分が独立するときに自費中心の経営メニューを組むことに抵抗はありませんでした。
戸畑 当院は開業から一貫して、外傷専門に特化してきました。その他、たとえば肩こりや腰痛なども自費診療する方針をとってきたので、三部位逓減による影響はさほど大きくなかったです。
☆さて2018年。柔整、あはきの制度改定があり、さらに専門学校のカリキュラムが大きく変わります。皆さんにとって追い風またはピンチとなるのか? また今後、中長期的に柔整業界全体の未来にこの変化がどんな影響を及ぼすと考えられますか?
星野 私は断然肯定派ですね。今、学校側が関心あるのは国家試験の合格率だけ。保険証の見方や使い方、レセプトの提出方法など実務的なことを教えずに社会へ送り出す。当然、本人も開業してからどうしていいかわかりませんよね。治療にしても、学校の実習で人体相手に打つのは鍼くらいで、柔整の学校では実際のけがを治療する体験はない。そんな状態で卒業して、初めて臨床に臨むから変なことになる。今後は各院が、一定の実務経験期間を経た施術管理者を置く義務を負うため、現場の人材が回らなくなる院も出てくると思いますね。
永野 昔は学校卒業後にまず弟子入りして修行、技術を実地で身につけてから独立、という無言の了解があった。お礼奉公もちゃんとしましたし…。中途半端な人材を大量に採用して急成長させようと考えるグループ院が一時期増えましたが、今後は難しいと思いますよ。
戸畑 でも長期的に見れば未来は明るいのでは? マトモな院、人間しか残らないでしょう。手技中心でロボットやAIが浸食しにくい分野でもあるし。
永野 そうですね。あと個人的には、もっと熱い想いを持った若者が増えるといいですね。「成功を夢見る人が真面目にやれば報われる」業界であってほしい。
※記事の詳細は、ひーりんぐマガジン58号(新春号)をご覧ください。