「鍼灸」はなぜ「効果」があるのか? 最終回 経路および鍼術

経絡否定論
1952年に米山博久氏が発表した「経絡否定論」は、鍼術の基本概念としての経絡の存在を否定したために激しい論争を巻き起こした。経絡の存在を当然の前提とし、その上に治療体系を作るのか、あるいは全く経絡というものを考えずに鍼術を考えるのか。「経絡」という、永きにわたって鍼術の根幹を支えてきた基礎的な考えの評価をめぐっての議論はいまだに明確な決着をみていない。
刺鍼したときに、電気が走るような響きは鍼術を経験した者なら誰でもよく知っている。この現象の観察なくして経絡という着想は生まれなかったと思われる。「経穴」という点(ポイント)は痛みに苦しんだ古代の人でも、今の私たちでも同様に認識できる。しかし、各点をどのように結びつけるかは、その国によって異なっている。
鍼の治効理論
最初のころ筆者は鍼の治効原理は、神経の切断とその再生(ウォーラー変性)がその基本と考えていた。ところが新潟大学の解剖学教室で神経線維を包んでいる結合組織は強靭なものであり鍼灸の鍼ではとても切断できないことを知ってからは、鍼は単に末梢神経線維を刺激することに意味があると考えを変えた。また末梢神経でも副交感神経の中の迷走神経がその複雑な走り方からして経絡の原型であるように思えた。しかし神経線維にも知覚神経・自律神経・運動神経があり、痛みやしびれそしてマヒにも鍼術が奏功することを考えると末梢神経すべてが鍼術の対象なのだと考えを改めた。鍼術のすぐれている点は、直接に末梢神経を苦痛なくそして物理的に刺激できるという点にある。この点で鍼の施術は高度に発達した現代医学の方法に比べても遜色がない。そのために他の施術法に比べて長い年月を生き延びてきたのである。鍼が細いことにより、人体の痛点の配列を考えれば最も苦痛の少ない施術点を選択できるという利点がある。物理的に刺激するということは神経線維の興奮状態を人為的に変動させる(レーザー鍼による施術や神経線維に鍼をあてない施術には限界があるであろう)。しかし、どんなにすぐれた名人でも自分が思ったように神経線維の興奮状態をコントロールすることはできない。鍼術の後、かえって痛みが増したという状態は起こりうる。神経線維の興奮状態を人為的に変動させることが鍼術の目的なのであるからそれは仕方のないことではある。

関 忠雄
1949年 長野県生まれ
1973年 中央大学法学部卒業
1978年 早稲田鍼灸専門学校卒業
1978年 倉島宗二師に師事 臨床鍼灸学を研修
1978年 関鍼灸治療室を開設
2003年 新潟大学医学部第一解剖学教室で
末梢神経(自律神経:迷走神経)解剖を研修
研究題目「迷走神経と経絡との解剖学的相関について」
2005年 佐野動物病院にて獣医学を研修
2006年 名古屋市れもん鍼灸接骨院院長
2013年 アルゼンチン(F・バレイラ)鍼灸院院長
2016年 アルゼンチン、ドイツ、日本(名古屋市)にレモンバーム・アカデミー開設
2018年 アルゼンチンから帰国 現在沖縄県在住

※記事の詳細は、ひーりんぐマガジン66号(新春号)をご覧ください。
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